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電気の世紀

─トーマス・エジソン
Seibun Satow
Feb, 20. 2001
一九〇一年一月二十三日水曜日
“The new century has opened rather inauspiciously”.
夏目漱石『日記』

 二〇〇〇年十月四日に肺ガンのため、六十六歳で亡くなった林ひな子は二十世紀を最も
表象した一人である。彼女は草創期の TV 界に登場した「CM ガール」の草分けである。当時、
宣伝 対象の賞品の印象がかすんでしまうという理由から、TV の CM に俳優は敬遠される。
「三種の神器」が衝撃を与え、人々は商品名だけが連呼される広告ではなく、商品に関する具
体的な 説明を求めている。電化製品は家庭では未知のものだったからだ。
『月光仮面』や『怪
人二十面相』を代表に、細身で、ショートヘアーの彼女の担当した多くの人気番組は単独企
業の提供だったため、番組や特定スポンサーのイメージになる。アナウンサーさえ匿名だっ
た頃に、彼女は自分の名前を名乗っている。生コマーシャルの時代だったので、ハプニング
もよく起きる。彼女は、そんな時でも、とっさに機転を働かせ、ユーモアでのりきっている。
「媚を売らず、親切さ、身近さ、清潔さ」が彼女のモットーだった。林ひな子が紹介した洗濯機
や冷 蔵 庫 、 掃除機 、 クーラー 、 テレビは電気の魔法である。彼女はまさに Electric Magic
Woman である。

Citizens of science
Closed eyes
Just kill time
Hung up on phones.
Stand alone in windows
Of empty room
They never wave
Never give you the time of day.

They think in shifts


Dream with eye contact
Never notice blind dates
Drinking hand stuff
Listening to the radio for blast.
And without a fuse walk passed.
Citizens of science
Close the eyes
And breathe and breathe
Hang up on phones
Stand alone in windows
Of empty room
Stare from vacant bars
They never wave
Never give you the time of day.

Citizens of science
They think in shifts
Dream with eye contact
Never notice blind dates
Kill time in faceless stations
Drinking hand stuff
Listening to the radio for blast.

Citizens of science are silent.


Citizens of science can smile.
Citizens of science are silent.
They know what is good for them.

Citizens of science
Are silent as walls for days.
Then left on shelves breathe away
Citizens of science are silent.
Citizens of science still smile.
They know what is good for them.
(Yellow Magic Orchestra “Citizens Of Science”)

 アメリカの世紀と呼ばれる二十世紀は「電気の世紀」である。一九六七年、パリで、万国博
覧会が開催される。「近代生活の諸芸術と技術の博覧会」をテーマに、人類の進歩と近代生活
を代表するものとして、「光」がとりあげられている。ラウル・デュフィは、その万博に、縦
10m、横 60m の大作『電気の精』を展示する。また、フランス革命二〇〇周年を記念するイベ
ントにおいて、ナム・ジュン・パイクが、
『電気の精』の前で、ビデオ・インスタレーションを行
ったが、電気称賛のアートとビデオという動画の映像メディア・アートが光を媒体に共振し
て い る 光 景 を 呈 示 し て い る 。 "Guiding light, guiding light, guiding thru these
nights”(Television ”Guiding Light”).「光(light)」は「啓蒙(enlightenment)」につながる
が、二十世紀において、その「光」とは「電気」である。これはトーマス・エジソンの認識である。
一九三一年、エジソンの葬儀の夜、マンハッタンでは電灯が一斉に消されている。それは市
民からのエジソンの死への弔意である。マンハッタンに電力を供給しているのもエジソン
が始めた会社に由来を持っている。「町中の人が明かりを待っているようだった」(トーマス・
エジソン『回想』)。Discontent is the first step in progress.
 トーマス・エジソンは現代の電化社会を可能にさせた有力な人物の一人である。エジソ
ンは、一八四七年二月十一日、オハイオ州マイランに生まれる。小学校に入ったものの、どう
にも学校という環境になじめず、教師との折り合いも悪かった。三ヵ月たったある日、女教
師にクラスメートの前で「頭が空っぽね(He is addled)」と冷笑され、教室からそのまま飛
び出し、家に 帰ってしまう。泣きじゃくるわが子の姿を見て、母親は「これから私がこの子を
教えます」と宣言する。息子を「低能」と信じていた父親は、それを聞くと、その分だけ学費が
浮くと喜んで同意している。以来、少年は二度と学校に行くことはない。“If I was as wise
as that, I should have a headache all day long, I know I should!” (Lewis Carroll
“Sylvie and Bruno”).母親は、かなりゆっくりと時間をかけて、the 3R’s を教えている。All
things are difficult before they are easy.実際、十九歳になっても、稚拙で句読点もおぼ
「お母さん──働いてから二三週間になりますとても大きく
つかない手紙しか書けなかった。
なりもう子供のようじゃありません──みなさんお元気ですかメンフィスの町から本の入っ
た小包を受けとりましたか言ったでしょう送るって──外国語の本です。さようならアルよ
り」。
 アルは、そのうち、読書の楽しみに目覚めるようになる。エドワード・ギボンの『ローマ帝
国衰亡史』やデヴィッド・ヒュームの『英国史』、ウィリアム・シェークスピア、チャール
ズ・ディケンズなどの古典の名作を母親と一緒に読み耽ったが、中でも、
『自然科学の学校』
に心奪われる。それがきっかけとなり、物理学や化学の新刊が出るたびに、目を通すように
なっている。近所の子供たちと遊ぶことはなく、自宅の地下につくった研究室にこもって、
実験を繰り返すのが好きである。十二歳の時から、列車の売り子として働き始め、通信技師
となった十六歳の頃から、発明に没頭するようになっている。一八六八年、「電気式投票記録
機」により初めて特許をとる。最初の発明品も電気だ。記録機は不評だったが、次々と電気に
かかわる発明品を考案している。一日に三、四時間しか眠らないで、研究に没頭し続けてい
る。それは生涯に渡って、変わらない。二十三歳で、発明家として独立し、一八七七年に、蓄音
機、その二年後、白熱電灯を発明し、一躍全米のみならず、世界中に「エジソン」の名が知られ
るようになる。エジソンは始まりつつあった電気の時代の寵児であると同時に、開拓者でも
ある。
 エジソンの電気に対する偏愛は『フランケンシュタイン』の映画化に端的に見られる。一
九一〇年、エジソンは、十二分の映画『フランケンシュタイン』をつくったが、フランケンシ
ュタインが化学薬品によって生まれたことにしている。ちなみに、一九二〇年、カレル・チャ
ペックが『R・U・R』でロボットを登場させた際にも、それを機械仕掛けではなく、
「原形質(プ
ロトプラズム)」からできた合成物として描いている。
 一八一六年、十八歳の Mary Shelley の夢から生まれた『フランケンシュタイン』は、マッ
ド・サイエンティストのフラケンシュタイン博士が生命をつくるという話である。彼女は
これを匿名で発表している。多くの意味で十九世紀的であるけれども、現代を感じさせる。
 メアリーの母ウルストン・クラフトは女性の権利運動の活動家、父ゴドウィンは改革的
思想家だったが、メアリーと詩人 P・B・シェリーとの結婚には反対している。幼児死亡率が高
いこともあって、シェリーとの間に生まれた子供は二週間で亡くなり、メアリーは悲嘆に暮
れる。
 当時、人々は産業革命によって科学に関心を持ち始めている。興味の中心は、最初、蒸気機
関だったが、電気にも広がっていく。一七八〇年、ルイジ・ガルヴァーニは、死んだ蛙の足に
電気を流すと、筋肉が痙攣を起こすのを発見し、それを「動物電気」と命名する。世間では、こ
れを一つの根拠に、電気は死体を生き返らせる力があるのではないかとも考えられている。
『フランケンシュタイン』は、こうした個人的・社会的背景の下、誕生する。
 筋は次の通りである。十八世紀の北極点を目指す探検家ロバート・ウォルドンが一人の
男を救助する。彼は名前をヴィクトル・フランケンシュタインと明かす。この男は錬金術に
関心があったが、一七五二年、ベンジャミン・フランクリンの雷の実験に影響を受け、電気
による生命体の創造を試みる。ところが、土くれに命を与えるというプロメテウス的企ては、
ダンテにも想像できない怪物をつくりあげてしまう。彼はこの怪物を拒 絶する。親が子を拒
み、置き去りにしたというわけだ。怪物は森に住み、人間を観察して、言葉を学習していった
が、次第に、自分の存在を呪うようになる。怪物は、
「フランケンシュタイン」の名前を博士の
弟から聞いた瞬間、恨みを晴らすことを決意する。荒れ狂いながらも、怪物は博士に妻を望
み、南米に渡って、植物を食べて暮らすと約束を結ぶ。しかし、博士は、途中で、女を殺してし
まう。怪物は、報復として、彼の家族や友人を殺し、博士を北極におびき出す。博士は怪物を
受け入れながらも、消耗し、怪物も霧の中に消えていく。両者はすべてを失い、最後には、二
人とも絶命する。一九三一年、ボリス・カーロフ主演の『フランケンシュタイン』が封切られ、
現在までのフランケンシュタインのイメージが形成される。ラジオ・ドラマや映画だけで
なく、いささかソフトになりながらも、テレビにも、漫画にも、格好の題材となっている。日
本では、スワローズでピッチャーにもなり、
『旧約聖書』の巨人ゴリアテに由来するジャイア
ンツ相手にノーヒット・ノーランまで記録している。また、メル・ブルックスはコメディー
映画として『フランケンシュタイン』を制作し、新たな展開も見せている。電気はこんな怪物
を生み出しはしないというエジソンの思いとは別に、『フランケンシュタイン』の改変はこ
のようにバイオエレクトロニクスの到来を予感させる作品である。
 電気現象は古代から各地で確認されていたが、十七世紀に入って、ヨーロッパで、電気が
理論的に体系付けられ始める。十六世紀の終わり、イギリスの医学者ウィリアム・ギルバー
トは、正の電気と負の電気が引き合う摩擦電気を実験的に証明し、一六〇〇年、この摩擦電
気を『磁石について(De Magnete)』において、”electrica”と命名する。これは琥珀を意味す
るギリシア語”ηλεκτρον”に由来している。古代ギリシアのタレースが琥珀の摩擦電気に着
目したという伝説がある。一六四六年、同じくイギリスのトーマス・ブラウンが、『流行する
見掛けの導水管(Pseudodoxia Epidemica)』の中で、”electricity(軽い 物体を吸引する
力)”という言葉を使い、それが現在まで続いて使われている。ちなみに、東洋で用いられてい
る「電気」の「電」は雷や稲妻、もしくは竜に由来する。東洋人は電気を雷の激しさから感じて
いたのに 対して、 ベンジャミン・ フランクリンは、 雷鳴轟く中、 凧をあげるという違いがあ
る。ただ、フランクリンが実験した翌年の一七五三年、同様の実験を試みたロシアの G・リヒ
マンは感電死しているので、フランクリンは運がよかったと言うほかない。一七四六年、オ
ランダのライデン大学の教授ピーター・ヴァン・マッシェンブレーケは「ライデン瓶」と呼
ばれる蓄電器を発明する。一八三六年、帆足萬理はオランダの自然科学書によって『窮理通』
という八巻の編纂したが、その際、マッシェンブレーケの物理に関する書物を参考にしてい
る。さらに、イギリスのヘンリー・キャンベンディッシュが残した電気学に関する遺稿をク
ラーク・マックスウェルは整理し、一八七九年、
『ヘンリー・キャンベンディッシュの電気学』
を公表する。貴族の家に生まれたキャンベンディッシュはほとんど発表もしないで、研究に
没頭している。変人としても有名だった彼は試験嫌いで、ケンブリッジを退学し、世間とも
ろくに交流しなかった。誰よりも早く、クーロンの法則やオームの法則、水素も発見してい
るにもかかわらず、それを公表していない。キャンベンディッシュにとって研究は趣味にす
ぎない。マックスウェル以降、電気は物理学において主流の分野になっていく。
 こういう経緯を経て到来した電気の時代、科学技術に関するビジネスにおいて成功して
いる手法は、意識していようとしまいと、多くの点で、電気を愛してやまないエジソンに起
源を持っている。第一に、エジソン以後、産業界では企業の中に研究所をつくり、企業のため
に科学的研究を方向づけ、さらに研究を個人から集団へと移行させている。マックスウェル
分布からギッブス分布へというわけだ。Walkman を開発した企業名はわかっても、開発者
の名前を知るものは少ない。新たな製品の研究開発は、企業内では、プロジェクト・チームで
行うものだからだ。研究者グループは集団的匿名に徹しなければならない。エジソンは、ニ
ュージャージー州のメンロパークに、世界初の工業研究実験室である工場を建てる。ちなみ
に、工場を建てる時に使われるコンクリート工法も建築の分野におけるエジソンの発明の
一つである。この工場の建設はたった一人で小さな実験室に閉じこもる発明家の時代は終
わり、複数の専門家がそれぞれの得意領域に力を発揮して、大きな発明に向かう組織の時代
が始まったことを告げている。ベルの電話の改良や蓄音機、電灯の発明には、別の助手が担
当する。エジソンは、壮大な Electric Magic Orchestra の指揮者として、振舞っている。
 今の商品開発において、個人の能力よりも、チーム・ワークが重要だということは、IC 開発
が典型的に示している。IC 開発は、一九五六年にイギリスの W・A・ダンマーがトランジス
ターから発展した集積回路の開発できると予測したのが最初だとされている。しかし、特許
となると、アメリカのジャック・キルビーとロバート・ノイスがほぼ同時期に出願し、その
優先権を争ったものの、結局、ノイスにあるという判決が下される。ノイスは、その年、ウィ
リアム・ショックレーが設立したショックレー・トランジスター社の研究所に加わってい
た。ショックレーはトランジスターの発明により一九五五年のノーベル物理学賞に輝いて
いる。ところが、ショックレーの狭量さと傲慢さに嫌気がさして、ノイスを含め研究員が八
人も辞めてしまう。”Eight Men Out”(Eliott Asinof). ショックレーは彼らを「八人の裏切
り者」と呼んで罵ったが、彼自身は、七〇年代、黒人が遺伝的に劣等であると主張し、激しい
非難にさらされている。彼らは、一九五七年、フェアチャイルド・セミコンダクター社を設
立、今日の IC 技術の根幹となるプレーナー・トランジスターを開発する。だが、このノイス以
外の七人の名前は、よほどこの事情に詳しい本でない限り、載っていない。その後、ノイスは
ゴードン・ムーアやアンドリュー・S・グローブらと共に、一九六八年、Intel Corporation を
創設する。Intel 社は、現在、CPU のシェアでは世界最大を誇ると同時に、WINTEL TWINS の
一方である Microsoft 社と並んで、最も人使いの荒い企業として知られている。このように
二十世紀の科学技術の歴史は集団的匿名によって形成されている。“ We cannot re-write
the whole of history for the purpose of gratifying our moral sense of what should
be” (Oscar Wilde “Pen, Pencil and Poison”).
 さらに、IC 自体がそうした認識を体現している。ネットワーク社会においては、その製品
がすぐれているからと言って、必ずしも普及するとは限らない。技術的によいことと多くの
人々が使うこととは、言語と同様、違う。ネットワークでは、ディファクトスタンダードこそ
が重要である。NEC の技術開発のスタッフはマイクロプロセッサ・インテル 8080 の回路
に不備を見つけ、改良したが、すでに普及しているタイプとの互換性がなくては売れないと
いう営業サイドの注文により、それをもとに戻している。今やわれわれは「社会の歯車」とい
う『モダン・タイムス』以来の比喩に代えて、ネットワークに組みこまれてしまった「社会の
IC」という比喩を用いなければならない。
 言うまでもなく、開発者に対して、所属していた企業以上に、特許権や著作権が認められ
るべきである。世の中に名前が知られることと経済的報酬は別である。製品によって企業が
得た 経済的 利益は開発者に特許 権や著作 権を認め、報酬として十分に与えなければならな
い。「コンピューターで、フォートランってあるでしょう。いちばんよく使われるプログラム
言語のもと。あれをつくった男、もともと金持ちで、しょうがないから IBM が小切手帳プレ
ゼントして、好きに使えというた。たいして使い道もなくて、山小屋でひとりで暮らしてい
るという。それでも、衛星放送を三つほど持って、世界じゅうと山小屋で交信している。早稲
田にいる友だちが、そいつといっしょにめし食って、大金持ちのくせに、『このエビ、値段の
わりにまずいな』ってふたりでしゃべったとかいうてたよ」(森毅『悩んでなんぼの青春よ』)。
 次に、エジソンは企業経営においてメディアの役割を重視し、発明に関する資金を調達す
るために、メディアを利用している。発明王はメディアがことのほか好きである。若き日の
ジョージ・バーナード・ショーも、ロンドンで、エジソンの電話の宣伝を行っている。
「私はエ
ジソン氏のロンドンでの名声の基礎を築いてやった」。G・B・ショーの所属していたフェビア
ン協会では、イデオロギーが異なる相手を論破し、説得する四つの方法──argue, debate,
lecture and propagandize──を会員に教えていたが、エジソンは、少なくとも、その一つ
ではショー以上である。「La palpitazione di centomila VOLTS(10 万ボルトの鼓動)」(坂
本龍一=細川周平『未来派 2009』)を持つ「メンロパークの魔法使い」と呼ばれたエジソンの
宣伝は、サーカスの謳い文句と同様、インチキくさいまでに派手である。
「エジソンには明ら
かに、いくぶん俳優や興行師的なところがあった」(マシュウ・ジョゼフソン『エジソンの
生涯』)。Courtesy costs nothing.メディアから身を隠すなど、二十世紀を生き、なおかつ
成功しようと狙っているものには、エジソンにしてみれば、理解不能であり、もってのほか
だ。メディアに対して露出狂であるくらいの公開性が望ましい。メディアを敵と見なしては
いけない。味方にすべきだ。エジソンのメディア利用法は、今から見ても、巧みであると同時
に、危ないものである。魔法使いは吹聴するのがたまらなく好きで、みんなから注目される
ことは、エジソンにとって、何とも言いがたい快感である。エジソンは、今自分がやろうとし
ている発明を静かに胸の内に閉まっておくことができず、仕上がってもいない段階で、その
発明の予告を発表してしまう。これはスポンサーへのラブコールであり、自分自身を励ます
ためでもあったが、同じ発明をしようとしている人々への牽制でもある。新聞記者に怪しげ
な内部情報をリークしたことも一度や二度ではない。「ジンジャー(Ginger)」は、明らかに、
エ ジ ソ ン 流 の 宣 伝 方 法 が と ら れ て い る 。 「 デ カ リ サ ー チ 社
(http://www.dekaresearch.com/)」を経営するディーン・カーメンが発明したジンジャー
「Ginger Japan(http://ginger.ore.to/)」のサイトで情報が手に入るものの、正体がまっ
は、
たく明らかにならないまま、一人歩きしている。もともとエジソンは新聞記者志望である。
ハックルベリー・フィンの不適さを持った売り子の頃に、鉄道会社のニュースやダイヤ変更、
ちょっとした政治記事を載せた新聞を一人で作製し、社内や駅の売店で販売している。経済
的には成功しなかったが、エジソンがメディアの重要性を早くから認識していたことを知
らせるエピソードである。
 なお、二〇〇一年十二月三日、ジンジャーが一台三千ドルで、一日の維持費がわずか五セ
ント以下の電動スクーター、「ゼクウエー-」であると判明する。ゼクウエーにはアクセルも
ブレーキもついていない代わりに、自動姿勢制御装置が内 蔵されており、操 縦者の姿勢に反
応して動くという製品である。
 もっとも、そのエジソンがメディア自体を変えることになる。それはグーテンベルク以来
の革命である。マーシャル・マクルーハンやアルヴィン・トフラーといったアングロ・ア
メリカのフューチヤーリストの予言はエレクトロニクスに基づいている。マスメディアは
すたれ、ビデオ・ターミナルの前の個人が自由に情報を選択するようになるとマクルーハ
ンは予測する。これはネット社会そのものだ。グーテンベルクの印刷機は著作権や印税の制
度を生み出したが、ネットでは、著作権や販売料金は期待できず、バナー広告など広告費が
収入源となる。広告の重要性がより増している。エジソンはこうしたエレクトリック・ジャ
ーナリズムの基礎を築いただけでなく、体現していたのである。
 メディアに対する関心とその変化への感受性はエジソンに言葉まで発明することを思い
「Hello」という言葉をつくったのもエジソンである。”Hello, I love you, Won’t
つかせる。
you tell me your name. Hello, I love you. Let me join your game”(The Doors
”Hello, I Love You”).それ以前には、「Ahoy」など何種類の言葉が用いられ、統一した呼び
かけ声はない。エジソンは、幼い頃にかかった猩紅熱のため、耳が若干不自由である。エジソ
ンはデジタル・デバイスを許さない。ハイカットとローカットされるため、電話の周波数帯
域が狭いので、肉声よりも、電話を通した声は聞きとりにくくなる。エジソンは、聴力の弱い
「Hello」という電話の周波数特性にあまり影響
人でも電話で呼びかけを聞きとれるように、
されない言葉を創造している。
「電話室では、どちらを見ても、たくさんに分けられた小室の
ドアが開いたり閉まったりしていて、そこの喧騒ぶりといったら、もう気がへんになるくら
いだった」(フランツ・カフカ『アメリカ』)。今では、どんな地方に住みながらも、電話やフ
ァックス、インターネット、衛星放送によって世界から情報を得ることができるし、主要先
進国では、携帯電話は一人一台の時代に突入している。電話が日本に伝えられたのは一八七
七年、民間への普及が進められたのが一八九〇年である。東京─横浜間で、最初の電話交換開
始当時の加入者は東京では一五五人、横浜では四十五人だった。電話に限らず、エジソンの
発明は目と耳の拡大である。古代ペルシアのアケメネス朝において、ダリウス一世が各州を
巡察・報告させるために、王直属の監察官を任命したが、彼らは「王の目・王の耳」と呼ばれ
ている。エジソンは「大衆の目・大衆の耳」を提供する。レオポルド・ブルームも「大衆の目・
大衆の耳」を雇いたいと思ったかどうかは定かではないとしても、ヘンリー・フラワーには
必要だったろう。目や耳を使ったコミュニケーションも挨拶から始まる。われわれはあまり
にもエジソンの世紀を生きている。
 先物取引的な売り込みは、エジソンに限らず、二十世紀の企業経営の分岐点になることが
少なくない。Microsoft 社は Windows95 販売の時、さまざまな手を使い、狂乱状態を引き起
こしたが、すべては一九八〇年に遡る。組織向けコンピューター業界では、Gulliver”と呼ば

れた IBM であるけれども、パソコン部門では遅 れをとり、 スティーヴ・ ジョブス率いる
Apple 社を筆頭に急成長するパソコン市場に進出するために、
MS 社と接触する。
IBM が MS
社に話を持ちかけたのはほんの偶然にすぎない。慈善団体ユナイテッド・ウェイの全米理事
会の後で、ビルの母 Mary Gates が理事の一人だった IBM 会長ジョン・オペルに話しかけた
ことがきっかけである。IBM との交渉に、ポール・アレンとスティーヴ・バルマーと共に臨ん
だビル・ゲイツは、IBM の苦境を改善するためには優秀な OS が必要であり、MS 社は「DOS
(Disk Operating System)」と命名した OS を用意していると持ちかける。OS 開発は極め
て難しい。当時、社員わずか三十二人のマイクロソフト社は OS を開発していなかったし、そ
の能力もない。これは完全にはったりである。交渉後,共同経営者のポール・アレンは急いで
知り合いを通じて探し回り、シアトル・コンピューター・プロダクツ社のティム・パターソン
から 86-DOS もしくは Q-DOS と呼ばれる OS を五万ドルで買い取る。納期に間に合ったた
めしがないことで知られる MS 社だが、この時ばかりは、さすがに守らなければならない 。
Q-DOS に手を加えて,MS-DOS として IBM に転売している。IBM は、とにかく早く発売する
ことを急いだため、オープン・プラットフォームのパソコンを製造すると決定する。一九八
一年になると、一〇〇社あまりの企業──松下や SONY、NEC──が続々と MS-DOS のライセ
ンスを取得し、IBM 互換機の生産を始める。MS-DOS がコンピューター業界で標準化するこ
とになり、MS 社に莫大な利益をもたらす。こうした手口は MS 社に限ったことではないが 、
IT 業界の中でも、MS 社が最も得意としているのは確かである。XEROX は、一九七〇年代に、
マウスの使用や GUI 環境、ネットワーク機能を備えたパソコン Alto を開発したものの、経
営陣は商品化を認めていない。ある幹部は、会議中、Alto の開発者たちに『ネズミ』
「 なんぞを
XEROX に売れというのかね」と問いただしている。Apple 社はこの結果に激怒・失望した研
究員を迎え、一九八四年、Macintosh を発売する。MS 社も、一九八六年、Macintosh OS と
非常によく似た仕様の Windows1.0 を開発し、一九九三年に発表した Windows3.1 によっ
て、市場を席巻することになる。「XEROX のパロアルト研究所(PARC)は、今日広く使われて
いるパーソナル・コンピューティングに関する基礎的なアプローチの礎を築いた。しかし、
その研究に費やされた多額の資金と努力にもかかわらず、XEROX はそこから利益を得るこ
とができなかった。これはビジネスにとっていい教訓だ。適正な人材を集め、正しい方法で
仕事をさせることができるならば、これほどいい投資の対象はない」(ビル・ゲイツ)。IT 業界
では、合法的な他社の製品の盗みが重要な手法となっている。Windows は Mac、Internet
Explore は Netscape Navigator の盗みである。それを非難されても、ゲイツはお気に入り
の”My Way”の一節を歌うだけだろう。”I did it my way”.
 エジソンにしても、XEROX の経営陣同様、何度か見通しを誤っている。一〇九七種類の発
明および改良に成功したエジソンの発想すべてが支配的になったわけではない。エジソン
が直流を主張したのに対して、ニコラ・テスラーは交流の安全性を提唱し、今では電力会社
が供給するタイプのほとんどは交流である。直流は、電車のモーターのように、立ち上がり
の際に大きな力、あるいは、オーディオ機器のように、一方向に安定した電流を必要とする
電源に適している。けれども、電流の方向や電圧の大きさを自由に変えられるため、発電・送
電 を 考 え れ ば 、 交 流 が 選 ば れ る の は 自 然 の 成 り 行 き で あ る 。 ” Yes, I’m back in
black”(AC/DC ”Back In Black”).また、リュミエール兄弟が発明したスクリーンに映すシ
ネマトグラフではなく、小さな機械の中に映し出される映像をのぞきこんで見るキネマト
グラフに将来性を見ている。シネマトグラフには敗れたものの、エジソンが採用した 35 m
mフィルムは映画の標準になっている。他にも、エジソン自身は死刑制度に反対していたも
のの、現に制度がある限り、それを合理的・人道的に行うのが現実的であるという当局から
の説得に応じて、電気椅子を製作している。ギロチンは当時の最先端の科学的認識である重
力によって執行される合理的・人道的な装置だったが、電気こそこの時代にはふさわしい
というわけだ。ただし、直流を推進していた発明王は交流を用いるという条件をつけている。
処刑の道具に使われる電流など人々は敬遠するに違いないと彼は考える。エジソンの発明
品の中で、現在まで、原型のまま生き残っているのは。映画フィルムの標準だけである。
 エジソンは、失敗したとしても、それをうまく利用している。苦労や偶然をすべて美談に
まで高めてしまう。エジソンが、それまでの発明家と違うのは、メディアを通じて、自分自身
を 等 身 大 以 上 に 見 せ る こ と を や っ て の け た 点 で あ る 。 “ Genius is one percent
inspiration and 99 percent perspiration”(Edison). 「人間というものは , 努力する限り
迷うものだ(Er irrt der mensch, so lang er strebt.)」(ヨハン・ヴォルフガング・フォ
ン・ゲーテ『ファウスト』)。エジソンは発明家が発明家としてだけではなく、社会的事件とな
った時代に生きている。
「わたしは科学者ではない。発明家だ。ファラデーは科学者だった。
彼は金のために働きはしなかった。そんなことをする暇がないと彼は言った。しかし、わた
しは金のために働く。自分のすることを何でも銀貨の大きさで測る。その銀貨がある大きさ
に達しなければ、そんなことはしても無益だとわたしは考える」。発明家は科学者と違う。発
明家はすべてを商品開発という観点から見る。発明家は自分の存在がつねに社会的であり、
資本主義経済の中にあることを認めている。発明家は、彼らの特許を担当していたアルベル
ト・アインシュタインの登場以降、地位が小さくなっていったが、エジソンは、いかがわし
さから言っても、徹頭徹尾「発明家」である。エジソンには、そのため、資本主義社会と無縁で
いるような態度の学者には我慢がならない。「わたしは数学者たちを雇うことができる。し
かし、彼らはわたしを雇うことができない」。
「数学者という連中には、うんざりするよ。たし
算をやってくれとたのむと、紙切れをだして、AだのBだの、XだのYだのを何列も並べて、
やたらに点や印をつけて、しかもその答えが全く見当ちがいときているのがおちなんだ」。
 二十世紀において、科学技術の発達を担ったのは、大学・軍・企業であり、中でも、家電は企
業が圧倒的に支配的である。新材料と新技術の開発、すなわち応用科学の開発において、知
的推理力と失敗や予想外の結果に対応する柔軟性が要求される。市場を睨みつつ、学問的裏
付けと経験に基づいた思考力と判断力が前提になる応用科学は、プロフェッショナルの世
界である。偶然性を歴史的転機と認識できるかどうかが問われる。Why
“ I have not failed,
I've just found 10,000 ways that won’t work”(Edison).そのためにはチーム、すなわち
「雲」(ジョシア・ウィラード・ギッブス)が確率的に高い結果を期待できる。あくまでそれは確
率解釈にすぎず、共存度と干渉が決定する。科学的理論とは違い、電気に限定すれば、科学的
技術の発展の歴史は波の性質を持っている。電子の運動には可逆性があるように、電気に関
する限り、科学技術の開発には可逆性があり、必然性はない。
『異説数学者列伝』において、自然科学での天才の存在の皮肉さをヨハン・カール・
 森毅は、
フリードリヒ・ガウスを例に次のように述べている。

 ところが、彼を「天才」とするなら、彼の存在は「天才産業」にとっての皮肉な結論を与え
ている。ガウスはその知りえた結果を完成形式において発表するという習癖を持ってい
て、未完成をさらけだして物議をかもすようなことを嫌った (このことは、ガウス崇拝から
追随者を生み、後世に 悪影響をもたらした)。それで、その多くの業績は、篋底深く秘めら
れ、あるいは友人だけに私信でほのめかされ、彼の生前には人に知られることがなかっ
た。それで、アーベルやヤコビ、あるいはロバチェフスキやボヤイ、ときには老ルジャンド
ルが何かを「発見」したとき、ぶつぶつと異議を唱えたり、さりげなく無視したものだ。そ
れで陰険に思われたりもしたが、事実たしかにガウスはすでに知っていたのである。つま
り、この半世紀ほどの多くの数学者の業績をひとりでまかなえたことになる。
 しかし一方で、この半世紀間の重要な業績がガウスの篋底に見出されたとはいえ、他の
数学者によって「発見」されなかったような著しい事実もまた、そこにはなかった。つま
り、ガウスなしで数学が半世紀間に発達したぶんだけ、この「天才」は私有していたことに
なる。 それで、人類にとって「天才」なしで間に合うということを、 ガウスの「 天才」 が証明
したことになる。

 同様に、エジソンが発明しなかったとしても、誰かがそれを発明する。特許をめぐる訴訟
に明け暮れたエジソン自身がよく承知している。しかも、特許をとったからといって、成功
するとは限らない。二〇〇〇年十二月二十一日に八十二歳で亡くなったアル・グロスは、第
二次世界大戦前に、トランシーバーを発明し、一九四九年にポケベル、五十年代には携帯電
話を発明している。しかし、彼は富を手にすることはできない。早すぎる。無線にも、ポケベ
ルにも、携帯電話にも、メーカーは躊躇し、消費者は冷ややかである。一九七一年までに特許
の大半が期限切れを迎えてしまう。商用化が適切な時期に行われていなければならない。
「後三十五年遅れて生まれていたら、今頃はビル・ゲイツ顔負けの億万長者だったはずだよ」
が口癖である。確かに、予想より遅いものは科学技術としては未来がない。実用化には予想
という理念が基準となり、予想は最善の広告であるとしても、予想さえされていないものを
開発したところで、市場には理解されない。製品開発には、イノベーションだけでなく、マー
ケッティングが不可欠である。イノベーションとマーケッティングの弁証法が製品品開発
の過程に働いていなければならない。 ” Genius is hard work, stick-to-itiveness, and
common sense” (Edison).トランシーバーと電話では通信方式が異なる。トランシーバー
を含めた無線の通信方式は半二重通信であり、両方向の通信が可能であるが、一方向のみ通
信可能な方式である。線路の性質としては同時にいずれの方向にも通信が可能であるけれ
ども、端局装置の性質により、一方向しか通信できない。スイッチを切りかえることにより、
一方が送信のみをおこない他方が受信のみを行う。電話の通信方式は全二重通信を採用し
ている。これは、二地点間で、同時に両方向の通信が可能な通信方式である。アル・グロスの
着眼点は非常によいが、この 説明が示している通り、個人の移動中など特定の状況下で使う
発明が多く、mobile life の一般化を待たなければならない。発明品は新たな生活スタイルを
予感させるタイムリーなものである必要がある。そうした画期的な発明があると、なだれ現
象が起こり、突然、それは終わる。このなだれの最初の原因としての一点を解明することは
難しい。リチャード・ファインマンの「経路積分」は理論的には可能かもしれないが、現実的
ではない。科学技術は実用化されて、初めて、意味を持つ。実用化を妨げるものは、コストや
量産の方法、運搬などあまりに瑣末なことが多い。科学技術には政治的な側面もあるが, 経
済的側面がより強い。二十世紀の科学技術はたんなる科学理論と連関しているだけでなく、
法律やライフ・スタイルなど広範な社会的な変化と相互作用している。基礎科学はあくまで
上部構造にすぎず、応用科学が下部構造である。商品化された新たな応用科学の登場は人々
の生活や認識を変化させ、メディアがその状況を増幅させる。科学技術は市場経済的な資本
主義に基づいている。二十世紀における科学技術は開発者である以上に、経営者としての能
力が要求される。エジソンはその典型であろう。

The strangeness of the strangers


Second hand teenagers
Face to face they face
A chemical race.

Minds blind
Empty eyes
Blank tongues ablaze
No names
Breath in dreams
Stand in lines, cracked smile.
Life to life collides
Solid state survivor.

And Marilyn Monroe’s not home


So I sit alone with the video
And Tokyo Rose is on the phone
Dressed to kill in her skin tight clothes
Here’s to a humanoid boy
Smiling, happy and void
Solid state survivor.
(Yellow Magic Orchestra “Solid State Survivor”)

 応用科学の歴史は、IBM に対する Apple の挑戦が示している通り、ゲリラと正規軍の闘


争の歴史である。ゲリラは遊撃戦を挑むだけでなく、支配的製品に対して革命戦争あるいは
人民解放戦争を遂行する。支配的製品の隙間や辺境から、その対抗勢力が生まれる。支配が
強固であればあるほど、独占状態が強ければ強いほど、時代の 変化に 対応で きなくなるの
で、ゲリラが生まれやすい。その勝利を判断するのは市場である。市場はゲリラの登場を待
っている。発明ではなく、アル・グロスの不運が告げているように、販売が革命をもたらす。
ネット社会はゲリラの活動には非情に有利である。"They're like fish out of water or
cats with wings"(Margaret Mitchell "Gone with the Wind").ネットは「ぼく自身のた
めの広告」(ノーマン・メイラー)である。従来は、優れていても、一般ユーザーの間でベータ方
式が VHS 方式に敗北したように、資本力の前に伸び悩む製品は少なくない。「ティトゥス-リ
ヴィウス がカルタゴ人を論じて申したように、 多数の勢いは常に最良なるものを凌ぐもの
である」(フランソワ・ラブレー『パンタグリュエル物語』)。だが、ネット社会では、匿名とし
ての個人を強調する時、ゲリラ的活動として、Linux の普及が証明している通り、企業との戦
い で も 十 分 勝 算 が あ る 。 「 最 小 の も の に 最 大 の 驚 き が あ る (maxime miranda in
minimus.)」。まつもとゆきひろが「Ruby(http://www.ruby-lang.org/ja/)」というオブジェ
クト指向のプログラム言語を開発している。まつもとによれば、
「シンプルな文法、普通のオ
ブジェクト指向機能(クラス、メソッドコールなど)、特殊なオブジェクト指向機能(Mixin、特
異メソッドなど)、演算子オーバーロード、例外処理機能、イテレータとクロージャ、ガーベー
ジコレクタ、ダイナミックローディング (アーキテクチャによる)、移植性が高く、多くの
UNIX 上で動くのみならず、DOS や Windows、Mac、BeOS などの上でも動く」。Ruby は、ネ
ットを通じて、C や HTML の代替言語として、密かに広まっている。宣伝は、二十世紀におい
て、最大の武器である。”Cambell Soup”や”Coca Cola”、”Mac”、”Windows”といった商
標を獲得し、アンディ・ウォーホル的に流通させる。 応用科学の革命は、市場がなだれ現象
「パラダイム変換」ではない。これは「表象
を起こすため、ほんの一点が崩れるだけで起こる。
転換」である。
「理論的方法にあっても、主体は、社会は、前提としていつでも表象に浮かんで
いなければならない」(カール・マルクス『経済学批判序説』)。これは全歴史に共通する視
点ではなく、電気の世紀である二十世紀に通用する見方である。この時代では、理論的・技術
的限界にあるものをたった一つ作り出せばすむわけではなく、大量生産のラインに乗せて、
大量販売しなければならない。それには、三つの「ム」、すなわち「ムラ・ムダ・ムリ」を斥ける
必要がある。日本の町工場はそれをネットワークによって解消する。日本の町工場の技術力
の高さと市場のシェアの占有力は競争ではなく、むしろ、彼らの持つネットワークによって
いる。「路地裏ネットワーク」あるいは「アメーバー型のネットワーク」と呼ぶ小関智弘は、
『ものづくりの時代』において、「『あの仕事をやらせたら、あそこはうまいよ』という技術の
信頼関係や、あくどいことをしないという人間的な信頼関係があってはじめて成り立つネ
ットワークである。そういう目には見えず、名前もないようなネットワークが、町工場の町
に張りめぐらされている。それが町工場の集積地として歴史を重ねた大田区の強さの要因
のひとつだった。『大田区のビルの屋上から、設計図を紙飛行機に折って飛ばせば、三日のう
ちに製品になって戻ってくる』とたとえられたのは、そういうネットワークがあったからの
ことである」と言っている。先に述べた可逆性が電気というミクロな視点に着目した時に表
われてくると同時に、開発製品が歴史的出来事として見れば不可逆性を持っているように、
マクロな歴史との整合性の問題もあるだろう。それ自体は多世界解釈を用いれば容易に説
明できるけれども、むしろ、二十世紀の科学技術の歴史は商業主義によって発展してきたの
であり、商業主義というメゾな視点から科学を捉えるべきである。二十世紀における基礎数
学から応用数学への数学史の変遷はヨハン・フォン・ノイマンが体現している。メディア
を制覇した製品が市場でも勝利している。パウル・カール・ファイヤアーベントは、『方法へ
の挑戦』において、認識論的アナーキズムを説き、さらに『自由な社会における科学』や『理性
よ、さらば』、『知識についての三つの対話』などでイデオロギー的性格を持つ科学の国家か
らの分離を主張したが、科学技術史はアナーキーな商業主義を背景にしている。アナーキー
な商業主義に対する Galgenhumor によってのみ、新たな科学技術と科学倫理が生まれる。
科学技術自身には倫理を決定できず、実用化=商品化上の倫理は、メディアを通じて、他者
の認定を受け、市場によって最終的に決められる。
 言うまでもなく、パソコンを筆頭に、考案された最新の生産物の意義がまったく理解され
ず、しばしば、市場どころか社内でさえ、葬り去ろうとする動きも生まれる。ところが、そう
した生産物が、逆に、新たな発想=市場を生み出す。「研究の目を、物である個々の構成要素や
その中身ではなく、構成要素全体を 1 つのシステムとして考えて、 その組み合わせ方、 用い
方に向けた」(斎藤 芳正『はじめての OR』)。
 アルフレッド・ノーベルは、エジソンとは逆に、商業主義的な状態を嫌っている。エジソン
が二十世紀の発明家であるとすれば、ノーベルは十九世紀の発明家である。十九世紀は、近
代オリンピックが登場してくるように、アマチュアリズムであり、蒸気の世紀であろう。ジ
ェームズ・ワットは、マシュー・ボールトンの協力で、一七七六年に単動蒸気機関、一七八
四年にピストンの往復運動を回転運動に変える復動蒸気機関を発明している。一八〇七年
にフルトンが最初の蒸気汽船、一八一四年にはスティーヴンソンが蒸気機関車を製造する。
一八一九年にワットが亡くなる時には、イギリスだけでも、すでに、五千台以上の蒸気機関
が動いている。次の世紀に支配的になる電気は大学の研究者が中心である。マイケル・ファ
ラデーも最初はアマチュアだったが、大学と関係が深い。一方、熱力学の研究者はアマチュ
アがほとんどである。熱の実体説を否定したルシフォード伯ことベンジャミン・トンプソン
は事業家だったし、ロベルト・マイヤーは船医、ジェームズ・プレスコット・ジュールに至
っては、醸造業者で、エネルギー保存の法則を唱えたヘルマン・フォン・ヘルムホルツは軍医
である。ワットは機械修理工、ジェームズ・フルトンは画家兼時計修理業者、ジョージ・ス
ティーヴンソンは職業的発明家である。
 ただ、熱力学には古典的力学と電磁気学、さらに量子力学をつなぐ要素がある。古典力学
を代表する時計の時間を標準化=統一化したのは蒸気機関車であるけれども、コンピュー
ターはこの時計に基づいている。熱力学はニュートン物理学最後の功績であるが、通常の古
典力学とは少々異なるから、専門家以外が実績をあげられる。
「発明家」はこの過渡期に活躍
する。エジソンは、その意味で、最後の発明家である。ルシフォード伯は、自分の会社でつく
った大砲の穿孔作業をすると砲身が熱くなることから、自説を導き出している、ジュールは、
酒をつくる時に、水を攪拌機でかきまわすと水の温度があがる点に着目し、法則を考案する。
また、マイヤーは、ジャワに向かう船の船員たちにおける静脈の血液の色が動脈のものと同
じくらいに赤いことに気がついている。動脈の血液の赤い色は、混じっている酸素の酸化作
用が原因であることは知られており、彼は熱がこの酸化作用に影響を及ぼすのではないか
と考える。一八五〇年に書かれたマイヤーの『熱の仕事当量に関する論文』によると、熱は
「実体」ではなく、
「作用」であって、
「熱量は圧力にさからって体積を増加させる能力」である。
熱はエネルギーであり、エネルギーの変化には、絶対温度の概念を熱力学に導入したケルヴ
ィン卿ことウィリアム・タムソンやルドルフ・クラウジゥスが示したように、ある一定の方
向性、可逆性=不可逆性がある。この概念は電磁気学や量子力学にも適用されていく。
 二十世紀の発明家であるエジソンはビジネスのスタイルだけでなく、二十世紀の生活環
境とその基盤も変える。われわれはエジソンの発明に起源を持つ家電製品に囲まれ、しかも、
それを支える電力までエジソンは考案している。エジソンの発明品が世界を構成している。
これは、歴史上、初めてであろう。デヴィッド・ロックフェラーがガソリン・エンジンを発明
することはい。エジソンはドイツのヨハン・ヴィィルヘルム・リッターが考案した蓄電池
を改良してエジソン電池を発明し、一八八一年、パリで開催された第一回国際電気器具展示
会で、蒸気タービンを利用した発電機を出品、翌年には、ニューヨークで世界最初の公営発
電所において発電を実用化している。エジソンは、一八七八年に、エジソン・ゼネラル・エレ
クトリック・ライト・カンパニーを創業する。八九年、スプレーグ・エレクトリック・レール
ウェー・アンド・モーター・カンパニーを買収し、エジソン・ゼネラル・エレクトリック・カン
パニーとなり、九二年、トーマス=ヒューストン・エレクトリックと合併して、GE となる。エ
ジソンは九四年まで取締役会に参加している。一九〇〇年、MIT の化学者ホイットニーを迎
えて、研究所を設立し、基礎科学、化学・電気・治金技術に関する画期的な成果をあげ、一躍 、
GE の名前を高める。さらに、一九二二─三九年に社長に在任した同じく MIT 卒のジェラル
ド・スウォープは、一九二〇年代の好景気の際、女性が外に出る機会が多くなったことを見
て、家事の合理化を促す電化製品の製造・販売に力を注ぎ、後世の基盤を築いている。大衆の
世紀とも呼ばれる二十世紀は、その意味で、一九二〇年代に始まると考えられ、大衆とは「女
性」である。なるほど、電化製品は林ひな子によく似合ったわけだ。第二次世界大戦後には 、
GE は電球から原子炉まで製造する最大の電気総合メーカーとなる。GE の沸騰水型軽水炉
は日本でも広く使われているタイプで、「直接サイクル」とも呼ばれている。これは冷却シス
テムが一系統であることから、構造がシンプルにできるが、放射能の影響が広範囲の機器に
及ぶため、タービンの整備・点検の際に作業員の放射線被曝に気をつけなければならないと
いう特徴がある。電力を供給するのも、需用するのもエジソンの発明品である。電気のロビ
ンソン・クルーソー的作業はエジソンで終わっている。一九八一年に、GE の CEO に就任し
た J・ウェルチは、アジア企業の追い上げに対抗して生き残るために、大幅な人員削減と事業
規模の縮小に着手し、各分野で世界におけるシェアの一位ないし二位という企業に転換さ
せる。今日のネットワークはエジソンの発明の結び目そのものの比喩であり、エジソンは情
報化社会を先行した人物である。二十世紀は「発明を超えて(文学であれ絵画であれ科学であ
れ)研究プロセスに移行した時代。このプロセスは生産から隔絶している」(マーシャル・マク
ルーハン)。
 そのエジソンにしても資本主義に飲みこまれていたことは確かである。しかし、すべてを
美談に書き換えさせてみたエジソンを考慮するならば、それを決して否定的に考えるべき
ではない。発明した商品を売り出す際には、必ず「エジソン」をつける。競争相手がいない間
は、市場を独占するものの、すぐに後発メーカーに追いつかれ、商品は売れなくなる。後発メ
ーカーは経営者や開発者ではなく、有名な歌手や俳優を広告に使う。今では宣伝ではなく、
ライフ・スタイルの提案という広告の時代に突入している。人々はすでに数多くの家電に囲
まれている。この製品を購入することにより、消費者の生活がどのように変わるかを提案す
るのが広告の主流になる。エジソンが売りたかったのは発明品以上に自分自身だったので
あり、ウォーホルの認識を先取りしている。ところが、最近、経営者自身が広告に登場するこ
とも多い。フォード・モーターは、ウィリアム・フォード CEO 自ら出演する TV コマーシャル
を発表している。「家族」・「遺産」・「発見」・「強さ」をテーマにした四種類の CM において、創業
者のヘンリー・ フォードやレトロな自動車の映像が重ねられ、 フォード会長が「私の二人の
曽祖父ヘンリー・フォードとハーベイ・ファイアストンは、毎年、トーマス・エジソンとキャ
ンプに出かけたものでした」と語っている。
 他方、エジソンのもたらした生活様式は、火力発電所を代表に、環境問題を引き起こして
いる。けれども、人々はエジソンの世界を手放す気はない。エジソンの行った発明家的方法
により、ゲリラ的作戦により、その解決を図っている。エジソンに由来する問題は、結局、エ
ジソンに解かせるほかない。バイオエレクトロニクスにおいて、DNA が自分のコピーを作り
出す性質を利用した DNA コンピューターが開発されつつある。これは、原理的には、スーパ
ーコンピューターの百万倍の計算速度があり、全生物の遺伝情報の解析に期待されている 。
DNA の情報は DNA 自身に解かせるに限るというわけだ。エジソンが生きていたら、意気揚
揚とすべてのメディアを使い、私の発明によって、環境問題に 対する解決法が確立されつつ
あると訴えることだろう。エジソンは、いつもの通り、陽気かつエネルギッシュな態度で、大
好きな記者会見に臨む姿が目に浮かんできそうだ。そこでのエジソンの言葉は、「電気は決
して怪物などではないし、わたしもフランケンシュタイン博士ではない」という信念をこめ
つつも、どこまでもいかがわしく、妙な希望にあふれているに違いない。けれども、それこそ
が二十世紀だ。エジソンはあまりに二十世紀を体現している。
『戦艦ビナフォア』の次の
 そういうエジソンをめぐって、寺山修司の『エジソン』によると、
ような替え歌が吹きこまれている。

おれは電灯の魔法使い
それに頭もさえている
 エジソン自身が本当にそう思っていたかはわからない。ただ、三十歳だった一九七七年、
蓄音機に人類最初の音声を 録音する際、ある童謡を選んでいる。その歌詞は十九世紀初頭に
サラ・ジョセファ・へイルが書いたものだ。当時、アメリカでは、女性が学校へ行く必要など
ないというのが通説である。しかし、サラはそれを打破するために、その歌詞を書いている。
 エジソンは、最後に大笑いしながら、その童謡を次のように歌っている。

Hello. hello, hello.

Mary had a little lamb


Its fleece was white as snow
And everywhere that Mary went
That lamb was sure to go.

Ha, ha, ha, ha, ha.

 エジソンは生涯二度結婚している。最初の妻とは二十四歳の時に結婚し、三人の子供をも
うけ、十三年連れ添った後に死別する。彼女の名前は Mary という。
〈了〉
参考文献

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