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Japanese short story writer and novelist known for his spare, lyrical, and subtly-
shaded prose. In 1968 he became the first Japanese writer to receive the Nobel
Prize for Literature.<鎌倉 長谷>
引用符
十数人の女性たちが立ち止まって山の中をのぞいている。耳をそばだてて聞いてみると、「このあたりから大
仏さんの背中が見える!」
しかしながらそれは冬の景観だろう。いま新緑が全山を覆う状態ではその大きな背中も見えない。
わたしも何とか見つけようと、緑の向こうに目を凝らして歩いたが徒労に終わった。社殿の甍らしきものは見
えたが、大仏の背中はとうとう目にすることはできなかった。
***
(そういえば、康成の晩年の住処はこの辺りだった・・・)
(山の音・・・このあたりの山の音をかれは聴いた・・・)
川端康成は戦後の昭和 21 年から鎌倉長谷に転居して以降ここを終生の住まいとした。
傑作「山の音」は「千羽鶴」とほぼ同時に、戦後の昭和 24 年から書き始められたが、完結を見たのは 29 年。
老境にいたった主人公尾形信吾の目を通して、敗戦とそれに続く戦後が日本の家庭になにをもたらしたかを描
いている。
***
ふと信吾に山の音が聞こえた。
風はない。月は満月に近く明るいが、しめっぽい夜気で、小山の上を描く木々の輪郭はぼやけている。しかし
風に動いていない。
信吾のいる廊下の下のしだの葉も動いていない。
鎌倉のいわゆる谷(やと)の奥で、波が聞こえる夜もあるから、信吾は海の音かと疑ったが、やはり山の音だ
った。
遠い風の音に似ているが、地鳴りとでもいう深い底力があった。自分の頭の中に聞こえるようでもあるので、
信吾は耳鳴りかと思って、頭を振ってみた。
音はやんだ。
音がやんだあとで、信吾は始めて恐怖に襲われた。死期を告知されたのではないかと寒気がした。
鎌倉の谷津の奥で月の夜、信吾が「山の音」を聴いたというのはおそらく川端自身の体験だろう。
「山の音」には信吾の(息子の)嫁・菊子に対する心の揺らぎがつづられている。谷崎ほどではないにしても川
端の耽美主義を想像せずにはいられない。
昭和 29 年に山村聡と原節子で映画化されている・・・。